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東京地方裁判所 平成4年(ワ)1016号 判決

原告

菅生貴子

被告

荒木義一

主文

一  被告は、原告に対し、金二九九六万八〇〇一円及びうち金二七四六万八〇〇一円に対する平成元年一二月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、被告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一原告の請求

一  被告は、原告に対し、金三三九九万一八七五円及びうち金三〇九九万一八七五円に対する平成元年一二月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用の被告の負担及び仮執行宣言

第二事案の概要

一  本件は、住宅地域の道路(幅員約五メートル)上の路側帯を通行中の歩行者が、その後ろから走行してきた乗用自動車に衝突され、電柱との間に挟まれて傷害を負つたことから、その人損について賠償を求めた事案である。

二  争いのない事実

1  本件交通事故の発生

事故の日時 平成元年一二月一七日午後九時五五分ころ

事故の場所 東京都世田谷区宮坂三丁目二八番八号先路上

加害者 被告(加害車両運転)

加害車両 普通乗用自動車(新潟五六ひ二六〇四号)

被害者 原告

事故の態様 原告が、前示道路右側の路側帯を通行中に、その後ろから走行してきた被告運転の乗用自動車に衝突され、電柱との間に挟まれた。

事故の結果 原告は、本件事故により右大腿部等に傷害を受けた。

2  責任原因

被告は、加害車両を運転中、前方不注視等のため原告に衝突したから民法七〇九条に基づき、本件事故について損害賠償責任を負う。

3  原告が受けた損害の額(一部)

原告が本件事故により受けた損害の額のうち、次に掲げるものは、当事者間に争いがない。

(1) 治療関係費(一部) 二九一万〇二六五円

内訳 既払分を除くもので、治療費二六一万九八三〇円、入院雑費二二万五六〇〇円、文書、写真代六万四八三五円

(2) 物損 六一万〇〇〇〇円

内容 原告が本件事故当日着用していたミンクのコート等が破損した。

(3) 休業損害 五六二万〇二五九円

内容 原告は、本件事故当時月収二三万六七四〇円を得ていたが、本件事故により平成元年一二月一八日から平成二年四月三〇日まで欠勤し、その間収入が得られなかつた。また、同年五月一日から九月末日までは入通院の合間を縫つての就労のため、毎月二万円減給された。さらに、同日付けで退職を余儀なくされ、その後、治療を終えた平成四年八月一二日までの間は、就業が不可能であつた。

三  本件の争点

本件の争点は、原告の損害額のうち、治療関係費(一部)、逸失利益及び慰謝料の額である。

1  右の点に関する原告の主張は、次のとおりである。

(1) 治療関係費(一部) 六九万二一九四円

内訳 原告本人及び家族の通院交通費四〇万三〇〇〇円、医療器具、医薬品代八万九一九四円、医師、看護婦に対する謝礼のうち金二〇万円

(2) 逸失利益 一〇一五万九一五七円

原告は、症状が固定した満二七歳から満六七歳に達するまで四〇年間稼働が可能であり、平成四年の賃金センサス女子労働者学歴計企業規模計によれば、少なくとも毎年二九六万〇三〇〇円の収入が得られたはずである。しかるに、本件事故のため、右大腿部から右膝にかけての神経損傷による疼痛・放散痛、右大腿部全体にわたる縫合痕、皮膚の変色並びに筋肉組織の脱落による醜状、右膝関節機能の障害という、後遺傷害別等級表一一級(以下、単に級の表示のみをする。)に評価すべき後遺傷害が残り、その結果、労働能力が二〇パーセント喪失した。

(3) 慰謝料 一一〇〇万〇〇〇〇円

傷害慰謝料として五〇〇万円、右後遺症の慰謝料として六〇〇万円が相当である。

2  これに対し、被告は、次のとおり主張する。

(1) 逸失利益

原告の逸失利益を平成四年の賃金センサス女子労働者学歴計企業規模計を基準とすることは認める。右大腿部から右膝にかけての神経損傷による疼痛・放散痛及び右膝関節機能の傷害は、いずれも伏在神経損傷によるもので、一二級一二号に評価すべき後遺傷害であるから、その労働能力喪失率は一四パーセントである。右大腿部全体にわたる醜状は、労働能力の喪失を持たらさない。

(2) 慰謝料

傷害慰謝料として二六六万円、右後遺症の慰謝料として三五〇万円が相当である。

3  右以外に、原告は、弁護士費用分三〇〇万円を主張する。原告は、弁護士費用については、遅延損害金の支払いを求めていない。

第三争点に対する判断

一  事実の経過について

前示のとおり、本件の争点は、原告の逸失利益及び慰謝料の額であるが、これらの点を判断するに当たり、本件事故の発生、原告の治療の経過等が共通して問題となるので、この点を検討すると、甲一の2、3、6、8ないし10、17ないし28、34ないし36、46、二の1ないし13、四の1、2、五の1ないし10、六、七の1ないし6、乙一、四の1、2、原告本人に前示当事者に争いのない事実を総合すると、次の事実が認められる。

1  被告は、本件事故のあつた平成元年一二月一七日、呼気一リツトルにつき〇・四ミリグラムのアルコールを身体に保有する状態で、加害車両を時速約一五キロメートルで運転して本件事故現場付近にさしかかつた。本件事故のあつた道路は、すずらん通りと赤堤通りを南北に結ぶ幅約五メートルの、住宅地区の中にある道路であり、右道路の左右は白線により、いずれも幅一・二メートルの路側帯が設けられており、原告は、右道路の右側路側帯を北に向かつて歩行していた。被告は、本件事故現場付近で右肩にかかつた痰を手で払うのに気を取られ、前方不注視のまま、漫然と進行したため、加害車両が道路右側に寄つて進行しているのに気がつかず、原告にその後方から衝突し、原告をその面前にあつた電柱との間に挟んでしまつた。

2  このため、原告は、事故現場で右大腿部の肉が削り取られるという右大腿部挫滅創及び伏在神経損傷の傷害を受け、平成元年一二月一七日から平成四年八月一二日まで次のとおり、入通院をした。

(1) 平成元年一二月一七日から平成二年三月一九日まで、大腿部の縫合及び皮膚移植手術のため、東京慈恵会医科大学付属第三病院に入通院(入院日数四三日、通院実日数二〇日)。

(2) 同年三月三〇日、駿河台日本大学病院に通院。

(3) 同年四月五日から二二日まで、リハビリ治療のため、医療法人高徳会上牧温泉病院に入院(入院日数一八日)。

(4) 同年四月二三日から六月一二日まで、手術跡の治療及び皮膚の炎症の治療のため、駿河台日本大学病院に通院(診療実日数四日)。

(5) 同年六月二二日から一二月四日まで、右膝神経損傷の治療及び手術のため、東京慈恵会医科大学付属第三病院に入通院(入院日数七日、通院実日数一一日)。

(6) 平成三年一月二五日から一〇月三〇日まで、皮膚形成手術(陥没部位にエキスパンダーという風船状の物体を投入し、皮膚を伸長させる手術。エキスパンダーの除去手術も要する。)のため、東京慈恵会医科大学付属病院に入通院(入院日数八二日、通院実日数一九日)。

(7) 同年一一月一八日、東京慈恵会医科大学付属第三病院に通院。

(8) 同年一二月二五日から平成四年八月一二日まで、陥没部位に脂肪組織を移動する手術のため、東京慈恵会医科大学付属病院に入通院(入院日数三六日、通院実日数六日)。

これらの期間を総合すると、平成元年一二月一七日から平成四年八月一二日までの二年八カ月の間に、入院日数一八六日、通院実日数六二日の治療を受けたこととなる。

3  原告の右症状は、原告が二七歳となつた後である平成四年一〇月五日に固定したが、右受傷のため、右大腿部から右膝にかけての神経損傷による疼痛・放散痛、右大腿部全体にわたる縫合痕、皮膚の変色並びに筋肉組織の脱落による醜状、右膝関節機能の障害の後遺症を残すこととなつた。右のうち、大腿部の醜状は、右足ふとももの内側が外見上明らかに陥没しており、縫合痕は、右足ふとももの内側及び後部並びに鼠径分にそれぞれ一〇センチメートルないし三〇メートル程度の縫合痕を残すものであり、特に右足ふとももの後部は、尻部から膝にかけて縦に長く一本及び横に太く二本の縫合痕を残すものである。これらの後遺傷害について症状の改善の見込みはない。なお、原告は、平成五年五月三一日に、自動車保険料率算定会から神経症状として一二級一二号、醜状痕として一二級(政令別表備考六)相当とされ、併合一一級の認定を受けている。

4  原告は、右の後遺症のため、右足全体がひどく痺れ、また、右膝関節の運動障害のため曲げ伸ばしが困難な状況である。そして、三〇分以上歩行すると足を動かしづらくなる上に、正座をすることができないのは勿論のこと、椅子に座り、右足を下げたままでいると、痛みやむくみが出るため、右足を投げ出した状態で座る必要がある。このため、事務関係の仕事も長時間することができない状況である。このような身体の状況となつたため、結婚を前提に家業を海産物の仕入販売とする男性と付き合つていたが、家業に不向きであるとの理由で破談となり、外の縁談についても不安を感じている。

5  被告は、本件事故のため、道路交通法違反、業務上過失傷害の罪で起訴されたが、右刑事裁判において、加害車両の任意保険の保険者である安田火災海上保険株式会社の担当柴幸は、証人として出頭し、原告の完全治療までの治療費は全額支払うと証言し、また、同旨の上申書を裁判所に提出した。さらには、被告自ら、原告の完全治療までの治療費は被告において全額支払う、慰謝料等の損害賠償についても最大の誠意をもつて話合いに応じるとの上申書を裁判所に提出した。このため、裁判所も、平成二年六月二五日、被告が被害弁償に誠意をもつて当たつていること等を斟酌して執行猶予付きの判決をした。しかるに、原告の父親が右刑事裁判の証拠として提出するための示談書に押印しなかつたことから、被告及び右保険会社は、平成二年六月分以降、右刑事裁判における上申書等にもかかわらず、治療費の支払いを拒否し、原告代理人からの催告にもかかわらず、かたくなに一切の賠償金の支払いを拒否している。このため、原告は、それ以降の治療費を健康保険を用いて自ら支払うことを余儀なくされている。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

二  治療関係費(一部)について

甲一一の1ないし12、一二の1ないし5、原告本人に弁論の全趣旨を総合すると、原告が前示の症状であつたことからその入院にあたり原告の家族の看護が必要であり、また、通院にあたつても家族の付添いが必要であつたこと、原告本人及び家族は、このための交通費として四〇万三〇〇〇円を要したこと、前示エキスパンダー等の医療器具、医薬品のため、前示治療費以外に八万九一九四円を要したこと、原告は、前示入院、通院に当たり、担当の医師や看護婦に合計二九万四三九五円(消費税込み。)の謝礼や差し入れを行つたこと、このうち担当医に対する謝礼は三万円ないし一五万円であることが認められる。このうち、原告本人及び家族の通院交通費や医療器具、医薬品代については、前示入院、通院の経過等に鑑み、必要なものであり、また、担当医に対する謝礼等のうち原告が被告に対して請求する二〇万円については、原告の入院等の経過に鑑み社会通念上相当なものと認める。

以上の合計は、六九万二一九四円である。

三  逸失利益について

原告の逸失利益算定の基礎となる収入については、当事者双方が平成四年の賃金センサス女子労働者学歴計企業規模計である毎年二九六万〇三〇〇円とすることに異論がないことに鑑み、右の価格によることとする。

原告は、本件事故による後遺障害のうち、右大腿部から右膝にかけての神経損傷による疼痛・放散痛をもつて一二級一二号とし、醜状痕一二級及び右膝関節機能の傷害も総合して、一一級相当の労働能力の喪失を来したと主張する。本件事故による後遺障害のうち、右大腿部から右膝にかけての神経損傷による疼痛・放散痛及び右膝関節機能の傷害は、いずれも伏在神経損傷によるものであると考えられるが(乙四の1)、前示の原告の状態からすれば、単に頑固な神経症状を残すのみならず、物理的な右膝関節機能の傷害も来していて、原告が就業することができる職種に制限が加わり、また、家事労働にも相当の支障を来すことが明らかである。これらの点に、原告が右醜状痕を理由に労働能力喪失を来すような職業に従事していたことを認めるに足りる証拠はないものの、女性にとつて全く無責の交通事故により大腿部に前示のような著しい醜状痕を残すこととなれば、労働意欲の減退を来すこともあり得ることを斟酌すると、形式的に一二級一二号としての一四パーセントの労働能力喪失を認めるのは適当でなく、少なくとも一七パーセントの労働能力喪失を来したものと認めるべきである。

弁論の全趣旨によれば、原告は、症状が固定した満二七歳から満六七歳に達するまで四〇年間稼働が可能であることが窺われるから、同年のライプニツツ係数一七・一五九を用いて算定すると、原告の本件事故による逸失利益は、八六三万五二八三円となる。

計算 296万0300円×0.17×17.159=863万5283円

四  慰謝料について

1  原告は、住宅街の道幅五メートルの道路の路側帯を通行していたところ、後方から呼気一リツトルにつき〇・四ミリグラムのアルコールを身体に保有する状態で加害車両を運転していた被告の過失により、右大腿部挫滅創及び伏在神経損傷の傷害を受けたものであり、原告は本件事故について全く無責であるのに比し、被告は、酒気帯び運転及び前方不注視という重大な過失を有すること、被告は、右酒気帯び運転については、刑事裁判で確定しているにもかかわらず、本件裁判では否認するという態度に出ていること、原告は、二四歳という女性にとつて最も華やかな時代に、治療期間二年八ケ月、うち入院日数一八六日、通院実日数六二日という長期の入通院による闘病生活を余儀なくされたこと、被告及び安田火災海上保険株式会社の担当柴幸は、被告の刑事裁判において原告の完全治療までの治療費は全額支払うと再三述べているにもかかわらず、原告の父親が示談書に押印しなかつたことから治療費の支払い一方的に打切つてしまい、刑事裁判においてした約束ごとを履行していないこと(被告の弁護人は、被告代理人の山本政敏であり、被告はいずれはきちんと償いをする覚悟はできているとの意見を述べている。甲一の3)、このために、原告が治療費を自ら支払うことを余儀なくされたこと、その他、本件に顕れた諸般の事情を考慮すると、傷害慰謝料は、原告が請求する五五〇万円を下らないというべきである。

2  原告は、本件事故により右大腿部から右膝にかけての神経損傷による疼痛・放散痛、右大腿部全体にわたる縫合痕、皮膚の変色並びに筋肉組織の脱落による醜状、右膝関節機能の障害の後遺症を残し、前示のように、右足全体がひどく痺れ、また、右膝関節の運動障害のため曲げ伸ばしが困難な状況である。そして、右後遺症を理由に結婚を前提として付き合つていた男性との話も破談となり、他の縁談についても不安を感じていること、その他、本件に顕れた諸般の事情を考慮すると、右後遺症を慰謝するには三五〇万円を相当と認める。

3  右を合計すると、慰謝料の総計は九〇〇万円となる。

五  弁護士費用

以上によると原告の本件事故による損害の額は、治療関係費(既払分を除く)三六〇万二四五九円(争いのない分二九一万二一九四円、認定した分六九万〇二六五円)、物損六一万〇〇〇〇円、休業損害五六二万〇二五九円、逸失利益八六三万五二八三円、慰謝料九〇〇万円の合計二七四六万八〇〇一円となる。

このような本件の事案の内容、審理経過及び認容額等の諸事情に鑑み、原告の本件訴訟追行に要した弁護士費用は、金二五〇万円をもつて相当と認める。

第四結論

以上の次第であるところ、原告は弁護士費用については遅延損害金の支払いを求めていないことから、原告の本訴請求は、被告に対し、金二九九六万八〇〇一円及びうち金二七四六万八〇〇一円に対する本件事故の日である平成元年一二月一七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるが、その余の請求は理由がないから棄却すべきである。なお、訴訟費用の負担につき、民訴法九二条ただし書を適用する。

(裁判官 南敏文)

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